内的環境に悪影響を及ぼすスマートフォン考1/27
スマートフォンが急激に普及し、通信新時代をマスコミが騒ぎ立てている。しかし、スマートフォンが巷間言われるほどに素晴らしいものか甚だ疑問である。まず、情報化時代の申し子のように言われるが、お手軽に調べものができることが知的活動にいいとは思えない。ある物事についてあれこれ八方尽くして調べるから、その物事についての深い部分が理解できるのであって、表層的に調べたものはそれなりの価値でしかない。しかも、そこにある情報が正確なものなのか全くわからない。パソコンによるインターネットが使われ始めた頃は、そこに上がっている情報の真偽を確かめよ誰もが口にしたが、最近それもあまり聞かなくなった。人々がその情報の不確かさを熟知した結果というのならばいいのだが、その重大性を知るものが少なくなったというのが実際だろう。 先の東北地方太平洋沖地震でツイッターを評価する声が殺到したが、その実力を鵜呑みにしていいのだろうか。もし、デマが飛んだとしたらパニックを誘引することは明らか。そうやって疑ってかかると、エジプトやリビアの民衆運動も疑わしくなる。つまり、アメリカやヨーロッパの言うことを聞かなくなったムバラクやガダフィーを失脚させたい人々が、ツイッターで民衆の声として流布したと考えられなくもないではないか。 さらに、電車の社内を見渡すと前も後ろも右も左もスマートフォン。同じ社中にいるというのに思考はバラバラというのはいかにも恐ろしい。車内にどんな人がいる、車窓にどんな景色が広がる、それも重要な情報ではないか。実際、スマートフォンをいじりながら駅のホームを歩いていて電車と、あるいは人や車椅子と接触という事故が増えているとJRが注意を促している。それでなくとも多くの人がそんな光景を目撃しているはずだ。 そんな社会情勢に追い討ちを掛けたのがドコモの通信障害だ。都心で発生した通信障害に250万人が影響を受けたというのにも驚いたが、連絡が取れずに大変だったと青ざめるユーザーの無能ぶりに恐ろしさを感じずにはいられない。しかも、テレビのレポーターが訳知り顔で、事故の大きな要因は無料のパケット通信だと指摘し、アメリカでは有料化し、利用者の使用をセーブすると同時に、有料化による収益分で交換機の充実化を図っていると報告。日本でもその方向性で改善に向かうだろうと涼しい顔でいう。 よくそれでマスコミの一員が務まるものである。ちょっとした通信障害でこれだけの影響が生じているということは、多くの人がケータイやスマートフォンに依存しているということである。生活していく上で不可欠なものにしておいて無料のものを有料にするというのは、オール電化を進めるだけ進めておいて電気料金を上げるのと同じではないか。今、まさにそんな暴挙が行われようとしていることに察しがつかないのは、やはりスマートフォンの影響なのだろうか。
久保範明